中国人は何でも喰うんだな
2006年5月24日コメント (3)警告〜WARNING〜
・食事中で無い方(調理方法を見るのに…変な制限だ…)
・清純な心を御持ちで無い方(子供は見るなって事)
・現実を見たい方(世界の上澄みだけ見て楽しいかい?)
全てに当てはまる方のみ以下のURLリンク先を御覧になって下さい。
(該当外の食事中な方・御子様・現実逃避の方は、下記の感想でも読んで妄想を膨らませて下さい)
ttp://www.geocities.jp/tyuugokujinno2/tyugokujin.htm
〜ここから下らない私の感想〜
「最初は」人間のやるべき事では無いと考えた。
しかし、中国人は普通に食している。漢方薬になるとも言っている。
中国人にとってこの料理はアリな訳だ。詰まり…こうか?
『これは感覚の違いから生ずる感情では無いか?』
私達は日頃、何事も無く牛肉を食しているが、ヒンドゥー教は牛肉を食す事をタブーとしている。
何故なら彼等は、牛を神聖な生物として扱っているからだ。
彼等から見れば、私達の「牛を食す行為」そのものが許せ無い筈である。
この一連の話を、この料理に当てはめれば納得出来るのでは?
(ヒンドゥー教が例外として、他宗教・無宗教をタブーに含まないとしているなら、この仮定は意味を成さないが…)
ヒンドゥー教徒
↓
私達
神聖なる牛
↓
○○。○
タブーを犯し、牛を食べる私達
↓
私達の常識を超えた料理を食す中国人
…無駄にしっくりくるのが腹立たしい限りではあるが。
この話をする以前にこの料理は、明らかに触法である。
しかし、永らく普及した食文化を、スッと変える事は出来ないだろうし、何より歴史絡みの話だ。
もし、ヒンドゥー教が世界を動かす程の力を持っていたとする。
この世界では間違い無く「牛ヲ殺スベカラズ」の法律が作られる筈だ。
そうすると、今回のトンデモ料理がこの世界では牛の料理になってしまう。
永い年月が経ち、牛が食べれない世界に皆が慣れれば、自ずと「牛喰い=悪」の方程式が民衆の脳内に形成される。
そして影ながら牛を食べる人間を弾圧し、罵倒し、葬ろうとするだろう。
それがこの世界での常識なのだから。
此処まで読んで、
「やはり許せない行為だ!!尊い命を何だと思っているんだ!!」
…と考える人は多数いるのではないか?
では、貴方の食生活から「卵」と名の付く原材料を含めた商品を食さない生活を考えて欲しい。
鶏の卵・マヨネーズ・いくら・キャビア…etc…
ケーキも残念だが食べれないね。…何故食べては駄目か?愚問だよ?
これから誕生する鶏や鮭等の「尊い命」を絶ってるんだから当たり前だよな?
…結局の所、突き詰めれば判るこの矛盾感。それは、
『感覚の違い』
たった、それだけの違いかもしれない。
魂の器の形状が違うだけで命は命。
「生」を「殺」す行為は全て罪で有る事を認知して欲しい。
それが生きる為でも、快楽の為でも。
…まだこんな事を言う輩が要るかもな。
「じゃあ何にも喰え無いじゃん!!馬鹿じゃないの?」
そういう生死の過程や罪の意識を踏まえて食事をしてみよう。
好き嫌いや満腹感による残飯をしている自分が悲しく見える。
ま、この感想をどう捉えるかも『感覚の違い』があるのだから、無理強いはしない。
こういう、究極の食も有る…という話。
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・食事中で無い方(調理方法を見るのに…変な制限だ…)
・清純な心を御持ちで無い方(子供は見るなって事)
・現実を見たい方(世界の上澄みだけ見て楽しいかい?)
全てに当てはまる方のみ以下のURLリンク先を御覧になって下さい。
(該当外の食事中な方・御子様・現実逃避の方は、下記の感想でも読んで妄想を膨らませて下さい)
ttp://www.geocities.jp/tyuugokujinno2/tyugokujin.htm
〜ここから下らない私の感想〜
「最初は」人間のやるべき事では無いと考えた。
しかし、中国人は普通に食している。漢方薬になるとも言っている。
中国人にとってこの料理はアリな訳だ。詰まり…こうか?
『これは感覚の違いから生ずる感情では無いか?』
私達は日頃、何事も無く牛肉を食しているが、ヒンドゥー教は牛肉を食す事をタブーとしている。
何故なら彼等は、牛を神聖な生物として扱っているからだ。
彼等から見れば、私達の「牛を食す行為」そのものが許せ無い筈である。
この一連の話を、この料理に当てはめれば納得出来るのでは?
(ヒンドゥー教が例外として、他宗教・無宗教をタブーに含まないとしているなら、この仮定は意味を成さないが…)
ヒンドゥー教徒
↓
私達
神聖なる牛
↓
○○。○
タブーを犯し、牛を食べる私達
↓
私達の常識を超えた料理を食す中国人
…無駄にしっくりくるのが腹立たしい限りではあるが。
この話をする以前にこの料理は、明らかに触法である。
しかし、永らく普及した食文化を、スッと変える事は出来ないだろうし、何より歴史絡みの話だ。
もし、ヒンドゥー教が世界を動かす程の力を持っていたとする。
この世界では間違い無く「牛ヲ殺スベカラズ」の法律が作られる筈だ。
そうすると、今回のトンデモ料理がこの世界では牛の料理になってしまう。
永い年月が経ち、牛が食べれない世界に皆が慣れれば、自ずと「牛喰い=悪」の方程式が民衆の脳内に形成される。
そして影ながら牛を食べる人間を弾圧し、罵倒し、葬ろうとするだろう。
それがこの世界での常識なのだから。
此処まで読んで、
「やはり許せない行為だ!!尊い命を何だと思っているんだ!!」
…と考える人は多数いるのではないか?
では、貴方の食生活から「卵」と名の付く原材料を含めた商品を食さない生活を考えて欲しい。
鶏の卵・マヨネーズ・いくら・キャビア…etc…
ケーキも残念だが食べれないね。…何故食べては駄目か?愚問だよ?
これから誕生する鶏や鮭等の「尊い命」を絶ってるんだから当たり前だよな?
…結局の所、突き詰めれば判るこの矛盾感。それは、
『感覚の違い』
たった、それだけの違いかもしれない。
魂の器の形状が違うだけで命は命。
「生」を「殺」す行為は全て罪で有る事を認知して欲しい。
それが生きる為でも、快楽の為でも。
…まだこんな事を言う輩が要るかもな。
「じゃあ何にも喰え無いじゃん!!馬鹿じゃないの?」
そういう生死の過程や罪の意識を踏まえて食事をしてみよう。
好き嫌いや満腹感による残飯をしている自分が悲しく見える。
ま、この感想をどう捉えるかも『感覚の違い』があるのだから、無理強いはしない。
こういう、究極の食も有る…という話。
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コメント
こんなモンテーブルに出されたら吐き気が来ちゃうと思うけど、
詰まる所は、これを一般的な食い物として認識してるかどうかの問題よね。
でもやっぱさあ、
これが普通 ( ちょっとリッチかな? ) の食材として、
すんなり手に入る社会ってどうよ、と思う。
この料理が通常の食卓に並ぶ程度に普及すれば…。
…在り得ないですね、ハイ。
頼み込んで買うまでの食材では無い事は確か。
其れ以前の問題で、頼めば買えるってのが既に狂ってる。
この国は、生を軽く見過ぎている。
直らないだろうな…コレは。
だから何にも思わないけど…でも自分に照らし合わせる事は出来ない…